2024年 3月 の投稿一覧

なんとかプレッソ

自由が丘にある洗練された雰囲気のパン屋さん。この地域には優れたパン屋が多く、パン生地の美味しさはさすがです。ベーコンも薫香が広がり、良い塩味でした。特にカレーエピは、カレー味のパン生地が珍しく、興味深いですね。

このお店は珍しい陳列棚を備え、パンは個包装されています。最近は個包装が少なくなってきていますが、個人的にはパン屋さんの個包装はビジュアル的に魅力がないので、ショーケースからセルフで取るスタイルが好みです。

パティスリー・パリセヴェイユ

フランスパティスリーウィークでエクレールを楽しむために予約し、時間通りに到着。待つことなく席に案内されました。暑い日だったが、混雑はそれほどでもなく、当日でもやはり待つことになりそうでした。注文したエクレールはチョコレートでコーティングされ、予想以上に大きかったです。ナイフで切ると中にはクレームショコラが。チョコレートの香りが広がり、日本のエクレアを凌駕する上質な味わいでした。素材の良さや丁寧な製法が感じられ、シンプルで美味しい。中にプラリネカカオが忍ばせてあり、食感に変化がありました。一瞬でなくなり、名残惜しいほどの存在感でした。ショーケースには美味しそうなケーキがあり、また次回も予約して訪れたいと思います。

フランス洋菓子の最高峰、ルレ・デセールのメンバーが経営する自由が丘のお店。生ケーキを中心にペストリー、ケーキ、タルトなどが楽しめます。外観はフランス風ではないが、店内に入るとアットホームで現地の雰囲気が漂います。ただし、イートインは待ち時間がかかる可能性があります。注文したペストリーと生ケーキは驚くべき美味しさで、クロワッサンは薄くてバターの甘味が感じられ、生ケーキは触感と口どけが素晴らしいです。手作業による手間のかかったお菓子で、一瞬でなくなるほどの美味しさ。自由が丘の最高峰のパティスリーとして、特別感を堪能しました。

等々力渓谷

自由が丘を舞台にした窓際のトットちゃんで、トットちゃんが飯盒炊爨の遠足で訪れた「とどろきけいこく はんごうすいさん」の場所は、自由が丘から電車で20分ほどの「等々力渓谷」。都会の喧騒を離れ、緑と静けさに包まれる癒しの場所です。木々に覆われた中を流れる川のせせらぎと澄んだ空気が都会のオアシスを演出します。古い寺院へ続く小道を歩き、趣のある甘味処で一休みすると良い散策ルートです。

ゴルフ橋から始まる遊歩道は谷沢川に沿っており、竹林や日本庭園、見晴らしの良い木造の尊が点在します。春は桜、夏は涼しさ、秋は紅葉と、四季折々の美しさが楽しめます。途中で「雪月花」という甘味処に立ち寄り、不動の瀧の音を聞きながら抹茶やあんみつ、葛餅を楽しんでください。上品な佇まいと緑に囲まれたこの場所で、日常のストレスを忘れて心身をリフレッシュできます。

窓ぎわのトットちゃん

自由が丘にかつて存在したトモエ学園が舞台となった、女優・タレントの黒柳徹子による自伝的物語が『窓ぎわのトットちゃん』。この本は1981年に講談社から出版され、第5回路傍の石文学賞を受賞し、ギネス世界記録にも認定されている。物語は黒柳の小学生時代やトモエ学園でのユニークな教育方法(リトミック、廃車になった電車を利用した教室など)を描き、級友たちや初恋の相手で物理学者の山内泰二も登場するノンフィクション作品。トモエ学園はかつて自由が丘にあり、リトミック教育を初めて導入した学校としても知られます。

自由が丘の名前と自由が丘駅の名前は、自由ヶ丘学園に由来しています。その跡地は以前「ピーコックストア自由が丘店」でした。2000年代に入り、イオンが経営に参加し、2021年5月末に建て替えに伴い閉店しました。その後、イオングループの商業施設「JIYUGAOKA de aone」が建てられ、2023年10月20日にオープンしました。1988年には有志により、跡地に記念碑が建てられました。商業施設のオープンに合わせて、2023年11月24日に記念碑がリニューアルされ、除幕式が行われました。

自由が丘の歴史

自由が丘の歴史は江戸時代に遡り、この地域は谷畑として知られていました。当初は目黒区に属していたが、1923年の関東大震災後、東京府西部で土地開発が進み、衾で大地主である栗山久次郎による耕地整理が行われました。1927年には東京横浜電鉄の東横線が開通し、九品仏駅が設置され、同年に手塚岸衛によって自由ヶ丘学園が建設されました。石井漠や石川達三、澤田政廣など多くの文化人が住むようになり、衾村は自由ヶ丘として親しまれるようになりました。

1929年には目黒蒲田電鉄の二子玉川線(現在の東急大井町線)が開通し、九品仏浄真寺の門前に駅ができ、新駅は九品仏駅と名乗りましたが、地元の要望により「自由ヶ丘駅」と改称されました。1932年には碑衾町が大字自由ヶ丘として統廃合され、自由ヶ丘は東京市目黒区に所属することとなりました。

1965年に住居表示が実施され、「自由が丘」となり、翌年には駅名も「自由が丘駅」に改称されました。発展を遂げた自由が丘は、戦後に駅前広場を設置し、商店街の発展もあり、1956年には537軒もの店が営業していました。街は木々が多く、熊野神社周辺には竹やぶも残っており、1974年には九品仏川が暗渠化され、九品仏川緑道として整備されました。2000年代からは雑誌に取り上げられ、親しみやすい庶民的な街として知られるようになりました。

自由が丘熊野神社

自由が丘のパワースポット。熊野信仰は平安時代中期から盛んで、鎌倉時代には西方熊野が極楽浄土になぞらえられ、東国の武士や庶民が参詣を始めました。この神社は当時の神霊を拝受し創設。暑い日でも境内は木々がうっそうと茂り、涼しさが広がります。若者たちが訪れ、自由が丘の喧噪を忘れさせる静かな空間。駅から5分の距離に位置し、鳥居をくぐると商店街の喧騒を忘れ、栗山九次郎の銅像や「ハート」の彫刻があり、恋愛運UPと言われています。夏祭りは沿道まで出店が並び、遠方から訪れる人がいるほどの規模で行われます。

九品仏浄真寺

九品仏浄真寺は東京都内でも有名な紅葉の名所で、東急大井町線の九品仏駅で降りると、すぐに浄真寺の参道が広がります。総門をくぐると左手には早い時期からの紅葉が広がり、周囲はオレンジ色に染まっていました。山門には寛政5年に建てられた迫力ある仁王像が左右に立ち、お面かぶりは三年毎に奉納される無形文化財。七百年の樹齢を誇る都天然記念物の大イチョウでの記念撮影も人気です。本殿は土足厳禁で、金色に輝く大きな釈迦如来坐像が鎮座しています。九品仏の九体の阿弥陀如来坐像は頭が青いのが特徴。秋の紅葉時期は多くの参拝者で賑わいます。東急東横線自由が丘駅から乗り換えて九品仏駅に着くと、長い参道が続き、閻魔堂での説法や歴史ある建物が楽しめ、清掃された美しい空間でゆったりと散策が楽しめました。

マリクレール通り

自由が丘で著名なストリート。商業施設が軒を連ね、買い物に便利。日用品からおしゃべりを楽しめるカフェやレストランまで揃っており、多彩な使い道が魅力。落ち着いた雰囲気の地面のブロックが周辺と調和している。自由が丘駅前に位置し、賑わいがあります。ショッピングモールもあり、便利なストリート。花屋、カフェ、セレクトショップが並ぶ中、高架下の小さな花屋にはオシャレな花が魅力的。かつてはファッションの中心地として賑わい、駅高架の絵が印象的。現在は九品仏川緑道が賑わり、名前は仏蘭西のファッション誌『Marie Claire』に由来しています。

ラーメン無邪気

自由が丘に根付く老舗ラーメン店。地元では高い評判を誇り、30年以上の歴史があります。特徴的なのは豚骨甘みと醤油の絶妙なバランス。ミルク系のマイルドなスープと、中太の麺が良い喉越しを提供。創業当初から微調整があり、今も進化を続けています。料の大盛りはスープと麺のボリュームが圧巻。ホウレン草や海苔ロール麺などの家系ラーメンの定番トッピングに、ニンニク、豆板醤、スリ胡麻を加えて味変。心地よい食べ応えで、お腹いっぱいに美味しく頂きました。

ケーキショップ モンブラン

モンブランは今や洋菓子の代表的な一品。しかし、このスイーツが一般的な名詞となる前、日本に初めてモンブランを導入し、広く知らしめたのは、ショートケーキやシュークリームと同じく、洋菓子の草分け的存在の店舗でした。そのパイオニアは、日本のスイーツカルチャーに革新的なアプローチをもたらし、モンブランを広く親しまれる存在へと押し上げました。

(ひとこと)
絶対これ!モンブランの看板ケーキ。上には天使のリング、昔ながらの黄色い中細麺のようなクリームが。中には優しいスポンジカスタードと栗。紙のカップに包まれて至高のケーキ。ああ、美味しい…。至福の瞬間!もんもん、ぶらんぶらん!懐かしい気分にタイムスリップ。幸せホルモンが溢れる安心感。ノスタルジックな気分が広がります。